2008年4月28日 - 日伯交流年・ブラジル移住100周年記念式典

ブラジル日本移民百周年記念協会 会長 上原幸啓氏

80歳という年齢に達しました今日、私は人生において最も栄誉ある瞬間を迎えております。
この記念式典は、人々の人生を変え、また他国民との絆を強め、さらに最大の海外日系社会を形成した一つの歴史の始まりを象徴的に表しております。
本式典に出席できましたことに私は深く感動しております。私自身もまた、8歳の時に両親と別れ沖縄本島を後にした移民でございます。異国の地にて少しずつ富を蓄え、すぐにまた自分の家に戻るのだ、と夢と希望をトランク一杯に詰め込み、我が兄弟達に会うためにブラジルに旅立ったのです。

しかし、多くの人は、帰国の夢が叶うことはありませんでした。我々移民は全員、多大な犠牲を伴う生活に直面しなければなりませんでした。しかし、我々は決して夢を捨てず、また祖国に対する愛情と尊敬の念を決して忘れることはありませんでした。

また、重要なことは、我々がブラジルにおいて肥沃な土地そして我々を受け入れてくれる温かい社会に出会い、それらが我々に社会的地位と展望ある未来を与えてくれたことです。
笠戸丸の出航から100年という月日が流れ、我々移民及び日本人の子孫は、現在、ブラジル社会に完全に溶け込んでおり、地方及び都市部において様々な分野で活躍し、あらゆる社会から尊敬の念を持って認められています。

我々が今ある地位を獲得するまで、開拓者はその第一日目から壮絶な戦いを余儀なくされましたが、その地位は次世代の日系ブラジル人によって維持され続けました。我々は、言語、異なる習慣という壁を乗り越えねばならず、第二次世界大戦によりもたらされた衝突にも直面せねばなりませんでした。しかし、我々は決して気力を失うことはありませんでした。

また、我々は、倫理及び道徳という厳しい規律に従うことを決してやめることはなく、この美徳は、我々の行動規範の一つとしてブラジル国民に全面的に認められております。
長い年月をかけ、我々の夢と希望は、新たな生活を築き上げ、我々を兄弟姉妹の如く受け入れてくれた素晴らしい国に貢献するためのエネルギーに変わっていきました。そのお陰で、我々はその活動を十分に発展させることができたのです。今日、日本人移民がブラジル農業に果たした貢献は誰もが認める事実です。

また、日本人移民が教育を大事にしてきたことを強調しなければなりません。我々は自らを犠牲にしたとしても、子供に対する教育については決して疎かにすることはありませんでした。多くの場合、日系社会が教育を優先度の高い事項と位置付けました。遠く離れた小さな移住地にさえ、必ず一つの学校がありました。その努力の結果が現在現れているのです。日系人は、最高の学歴水準を示し、主に高等教育における日系人教師の数は傑出しています。

天皇皇后両陛下、その認識は、我々日系人だけのものではございません。その証拠に、日本人ブラジル移住百周年を記念してサンパウロ州政府教育局が実施する「ビバ・ジャパン」というプログラムがございます。
「ビバ・ジャパン」は、ブラジル人と日本人の関係のルーツについての知識を深める重要性につき学生及び教育者の関心を喚起することを目的としています。昨年開始された本プロジェクトには、7歳から15歳までの年齢層の公立学校に通う生徒約50万人がすでに参加しています。

以上のように、日本人移住百周年記念というイベントは、今や日系社会という境界を越え、ブラジル人全てが参加する国家的イベントに発展しています。これは、ブラジルが多文化共生を大きな特徴のひとつとする寛大な国家であるという疑う余地なき証明でもあるのです。
そして、このような多くの尊敬と感動の巻き起こる雰囲気の中で、徳仁皇太子殿下のご訪伯が待ち望まれております。

私はまた、この場をお借りしまして、2008年に日伯交流年を祝福できますことが我々の深い喜びでありますことをここに強調したいと思います。この記念すべき年が次なる百年に向けた新たな日伯関係の大きな一歩を示すものと信じております。
天皇皇后両陛下及び皇太子殿下並びに日本国民の皆様全ての御健康と御多幸をお祈りしますとともに、自らに許されました最高の栄誉に対する感謝と感動の念を改めて申し述べまして、私の挨拶の言葉とさせていただきます。

[ とじる ]

▲ページの先頭へ