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移住ミュージアムのご紹介

移住ミュージアムとは

「海外移住と文化の交流センター」と移住ミュージアム

 「神戸市立海外移住と文化の交流センター」とその主要施設である「移住ミュージアム」をご紹介しましょう。

日本からブラジルへ
 日本人のブラジル移住は1908(明治41)年から始まりました。ブラジルは、日本のちょうど反対側に位置し、遠い国のように思えますが、実は日本とはとても親密な近い国なのです。この結びつきをもたらしたのが、多くの移住者です。そして、この移住者を送り続けたのが神戸の港です。1926年5月に誕生した日伯協会は、1928(昭和3)年に、ブラジル移住者を支援する施設の必要性を建議し「国立移民収容所」を実現させました。

 全国から集まってきた移住者が1週間から10日間、ここで移住の準備をしながら、別れを惜しみ、はるかかなたの異国の地に思いを馳せたのでした。希望と不安が交錯する、彼らの人間ドラマがこの建物には深く刻まれているのです。
 この建物は、その後、歴史の流れとともに何度か名称変更を繰り返しましたが、1971(昭和46)年に閉鎖されるまで、移住者保護を目的にした国の施設「神戸移住センター」として、役目をはたしてきました。

 日本でただ1つ残った、海外移住の歴史を刻んだ建物。2009年6月3日、「海外移住と文化の交流センター」として、リニューアルオープンしました。ここは、文字通り、移民の歴史を語る"語り部"なのです。日本を離れる移住者にとってこの建物は、日本最後の思い出の地となりました。

 1932年にブラジルへ移住された岩手県出身の苫米地静子(とまべちしずこ)さんは、この移民収容所を出発する時涙を流したといいます。苫米地さんにとってこの建物は、思い出の「心のふるさと」なのです。「やっぱり再興された」とリニューアルの報を聞いて大喜びだ。「移民の切なる思いがかなったのだ。私は思わずバンザイを叫びました」との手紙が届きました。

 移民船によるブラジル移住は、横浜からの最終船で1973年に終了しました。移民船が役割を終えても、その後は飛行機による移住が1993年まで続きました。明治から現在までに、世界へ移住した日本人は合計で104万人、神戸からは約40万人でブラジルへは明治末から85年間に25万人と見られています。この「海外移住と文化の交流センター」では、ブラジルをはじめ多くの国々の発展に貢献した移住の歴史を、数多くのパネルや映像、資料によってご案内いたします。この建物が見つめてきた移住の歴史を、ご来館いただき体感してください。

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移住ミュージアムご案内

 国立移民収容所としてスタートした移住者のためのこの施設は、今海外移住と文化の交流センターと名前を変えたが、主要施設は、移住ミュージアムです。この建物が建設された当時の神戸の街並みや海外移住の歴史、移住先への道のりや暮らしを当時の映像、写真で紹介しています。当時に使われていた農具なども展示しています。

1F 展示室

A.神戸から世界へ

 センターが建設された当時の神戸の街並みを映像、床面グラフィック、写真によって展示しています。移住者が南米移住の決意をかため希望と不安をいだきながら坂をくだっていった当時の情景をご覧ください。

B.神戸と移住の歴史

 都道府県別の移住者数をあらわした地図、海外移住の歴史を3期に分けた年表を通して移住の概要を示しています。

 現物展示としては、「五種の神具」と言われる、コーヒー農場で使用した農具や、渡航の際に日本から持参した道具などを見ることができます。

南米航路と移民船

 最初の移民船「笠戸丸」をはじめ、多くの模型を展示しています。 また、渡航の際の洋上生活の様子などを写真で紹介しています。 あふりか丸、あめりか丸、あるぜんちな丸、サントス丸、ぶえのすあいれす丸、ブラジル丸、もんてびでお丸、らぷらた丸、りおで志“ゃねろ丸

C.建物の記憶・人々の記憶

 1928年建設の国立移民収容所は時代によって名称や使用用途も変わっていきました。その変遷を映像と年表、当時の建物にまつわる資料で紹介しています。

 反対側のコーナーには、 希望の船出の記念碑の原型となった銅像と、この建物から新天地をめざした移住者の記念写真を壁全体に見ることが出来ます。

モニターでは、移住者25名の証言映像を見ることが出来ます。内容は、移住者の心境を赤裸々に表しています。

2F 展示室

D.新天地への道のり

 本館のほとんどが収容室であった、当時のベッドが設置されていた部屋の再現を見ることができます。
体験ベッドも用意してあります

出航前の移住センター内での生活と準備の様子を紹介しています。当時の新聞記事や記録画像、移住者が滞在時に過ごした様子をうかがうことができます。

 昭和3年に完成した国立移民収容所の建築仕様書をはじめ本館全フロアーの平面図、各部屋の写真を見ることが出来ます。

 このDVDは1955年(昭和30)、移住者の入所から神戸港出航するまでの1週間~10日間を撮影したものです。移住者の様子や心情を深く感じます。また神戸の懐かしい風景も見ることができます。

 自らここ移住施設で、日本を出発する前のブラジル移民の姿を描き、1935年(昭和10)第1回芥川賞を受賞した作家石川達三と受賞作「蒼氓」を紹介しています。

 日本から持参した荷物のコーナーです。
大きな物の中にはドラム缶などありました。
あらゆる物を持って行きますが、神戸に来てから買う物も沢山ありました。ここではラジオ、火アイロン、ランプ、カメラなど展示しています。

E.新天地に生きる

 移住地、ブラジルを紹介する部屋では、戦前と戦後を区別し、入植から今日に至る流れをパネルで見ることができます。日本人学校や使っていた教科書、新天地で楽しんだ楽器やレコード、卓球や野球の道具など含め、4つの展示ケースで見ることができます。

 南米への移住は、ブラジル移住の前、1899年ペルーへ移住したのがはじまりでした。アルゼンチン、ペルー、パラグアイ、ボリビア、ドミニカ、コロンビアなどブラジル以外の移住状況を見ることができます。

F.世界から神戸へ 多文化共生に向けて

 兵庫県とブラジルを結ぶ友好都市と神戸市の姉妹都市など紹介し、兵庫県と神戸市が世界とどのように関わっているか、そして日伯協会がこの建物の実現に果たした役割をみることができます。

 皆さんからのメッセージを届けるコーナー
感じたこと、学んだことなど、いろんな感想を書いてください。

 多文化共生のコーナーでは、特に阪神淡路大震災の教訓に触れながら、神戸がどのような活動をしているかをパネルで見ることができます。

開館時間 10:00~17:00(入館は16:30 まで)
入館料 無  料
休館日 毎週月曜日(祝日の場合は、翌日が休館)
年末年始(12 月29 日~1 月3 日)

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アクセスマップ

海外と移住と文化の交流センター

周辺の交通手段については交通アクセスのページをご覧ください。

→海外移住と文化の交流センター Webサイト

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一般財団法人日伯協会

〒650-0003
神戸市中央区山本通3丁目19番8号
「海外移住と文化の交流センター」2階 一般財団法人日伯協会 事務局

TEL・FAX 078-230-2891